スターになった。
僕の性格思考の大部分は家族構成の中で培われた部分が多いです。
どんな時も一番の味方でいてくれていいときも悪いときも笑って叱ってくれる大事な人が旅立ちました。
僕はその人と本当に真正面から衝突していました。思春期だけではなくていかなる時も。
今思い返してみると、自分の一番の理解者だと思っていたからだと思います。家族は決して裏切らないし、甘えっもあったのでしょう。
それでも家族でも分かり合えない部分は多少あります。しかしその人に対してだけは分かってもらえる、分かってもらいたいという願いがずっと根底にあったんですね。
沢山写真も撮っていろんなところに旅行に連れて行ってもらって。インドでの出来事も、沢山話して沢山喜んでくれた。今度行ってみたいわって言ってくれたり。
でも叶。
しかし、僕はフェスの夢は叶っています。
どんどんかなっています。でも一人だけの力ではなくて、家族の支え、友人、チームの支えがあったからできていました。
僕は戦士である以前に一人の漢であり息子であり人間でした。
息子は母の教えを大いに影響を受けて育ちました。
幼少の時は厳しくて九九を覚えるまでドラゴンボールを見せてもらえないとか、当時の僕からしてみたら厳しさの極みでありましたが、今となっては本当に笑い話です。
僕はいつも学校から帰宅し、宿題もぜずランドセルをほっぽり投げて遊びに行きます。そんな僕に勉強しないならランドセル燃やすわよ、といって焼却炉にランドセルを入れたのに僕は構わず遊びに行ってしまうほど勉強嫌い。そんな時母を祖母が母をフォローしてくれていたようです。
二歳下の弟がいて、よくその弟と沢山悪さを働いていました。その弟とも沢山叱られていましたが、逃げ足の速い僕が一目散に逃げて、弟は濡れ衣を着させられる羽目にも何度もなっったり。
でも可愛い弟です。
僕が9歳の時に一番下の弟が産まれました。彼もまた暴れん坊で、家族を良く賑やかにしてくれました。
両親の馴れ初めを病室で話してくれた時、僕はこんなロマンチックな二人にはなれないと思いましたよ。本当に愛し合っていた。
僕の妻に対しても変わらず愛情を注いでくれて、やっと娘が出来たと言って喜んでくれたり。
妻も本当によくしてくれて、両親を大事にしてくれました。
僕とその人はなぜこんなにも衝突したのかというと、きっと分かり合えると思っていたからだと思います。
全て理解して欲しかったんでしょうね、僕は。甘えなのかもしれないけど、心から分かって欲しかったんだと思います。
昨年末に緊急入院してから半年間、とてもきつい治療を続け、食事もまともに口に入らなくなって、体調、メンタルのしんどさは想像が出来ない位でした。好きな時に、好きなものを食べ、好きなものを飲み、好きな事を喋れて、好きな所に行けて、好きな事を話せることがどんなに幸せな事という事を最後まで教えてくれました。
自分がこんな時だからぞ場にいて欲しいと思ったと思うけど、フェスやりに戻るというと、頑張ってきなさいねと背中を押してくれました。
本当に偉大な人です。僕が反対の立場なら、こんな時くらいそばにいろというでしょうね。僕だったら。
重機-ZYU-KY-の曲に『Come Wave from the Earth』という曲がある。この曲は母の偉大さを歌にした曲です。
その人にもその事を伝える事が出来ました。
夢から醒めても隣に君がいるという曲も愛し合うもの同士を歌った歌です。
ネジネジもボルトとナットを例に挙げて愛しあう強い絆を歌った歌です。
僕らはいきていれば必ず終わります。
その間で色々な経験をして沢山の人達と出会い、話をしたり、同じ体験を共有したりして、どんどん年を重ねていきます。
僕にとって家族とは、いつもいてくれる存在、いつも電話したら出てくれる存在だと思っていた僕は大バカ者でして、そんな存在など一人としていないのです。
みんないつかはいなくなる。この世での出会いと別れ。また向こうで会った時も恥ずかしくないように、こっちで出来ることをゆっくりと進めていくしかないのですね。そう教わった気がします。
僕の性格は一本気で、他社からアドバイスをもらったりしても、右から左であまり聞き入れない性格なので、自分の感覚と自分なりの誠意で相手に尽くしていくやり方に生きがいを感じて生きています。
これからはもう少し人に優しくして生きていこうとも思いますし、この胸の奥の地獄マグマの様な煮え滾る静かな情熱は平静の顔の下に隠した置いたままで、これからも人には優しくさせて頂き、感謝と共に生きていこうと思っております。
SNSに関して、以前からとても自分にとって面倒なことが重なっていたのでFBもインスタもツイッターもやめました。
ラインも不調が続くので、今後のやり取りはメールのみでのやり取りとさせて頂きます。
あの人が教えてくれたっ事は僕は本当に普段から忘れてしまっていた事ばかり。当り前の事が出来ることがこんなに幸せだったんだなと思い出させてくれました。
僕の中のスター戦士がまた一人いなくなってしまいましたが、これからはいつも胸の中にいつも近くにいてくれると思います。
あの様な強力な力をもったスター戦士になれるか分かりませんが、光部門担当のスター光の戦士ナチョスとして、これからも邁進し感謝を忘れず生きていこう思っています。
一か月間、沢山話せて、マッサージ出来て、寝顔も見れて本当に幸せな時間をありがとうございました。
インドにいても場所がすぐわかるように、光って戦士活動していきますよ。
またプリーに戻るときが決まったらお知らせします。
悪いがそれまで待っていてくれ、生徒たちよ。