The way to establish the space development research center

NACHOS HOME ROOM

サイクロンFANIが来てから

投稿日:

5/1
インド到着翌日朝に目覚めてスタジオの掃除に行かないと思おもって、さっそく言った。昼前には着いて、早速部屋に入るとかび臭くてこれはレッスンにならないと思い、全部掃除をすることにした。
楽器たちを拭いて、床を磨いたりしようと思った。
朝10時になるとリンガラージ先生が到着して近況報告などをしていたら隣の日本語が学校が始まり少し見学した。生徒は10人くらい来ていてリンガラージ先生の娘も来ていた。シマちゃんも。
中にはACもついていて、快適そうだった。
それがおわり部屋の掃除に向かった。僕はそこで生活しようと思っていたから寝るスペースや、簡単な掃除だけでも済ませたいと思って、箱の中やスーツケースの中のモノたちを整理をした。
サイクロンが来る情報は確かそうだったので、その前に、ジュースや簡易的なケーキをスーパーに買い物をしようと思って出かけがた。リライアンスは超混んでいて会計するのに30分以上かかったが、カホンのカバンに大量に詰め込んだので何とかだ丈夫だった。その帰りにエアクーラーを買おうと思って隣の電気屋や、リライアンスの電気屋、グランドロードの電気屋をいくつか見て周って、以前冷蔵庫や洗濯機をかったAABANNSが一番よく説明してくれてあんしんそうだったのでそこで、5800RSを5600RSまで値下げして購入した。担当はラビさん。真面目そうな人だった。
デビットの2%もなしにしてくれた。
外でオートを拾い、ドライバーのおじさんの前をバイクで走り誘導する案内方法。無事に到着して、100RS支払い、部屋にて設置しながら準備を始めた。
その日はスタジオでねた。エアクーラーはまあまあだった。

5/2
この日はロッジに置いていた荷物をバイクでピストン輸送しながらスタジオへひたすら運ぶ作業から始まった。河合さんに手伝ってもらいながらもだいたい3往復位で残りのスーツケースのモノたちを全て移動できたともう。ロッジでもご飯をごちそうになり、ファクナさんもパンなどをくれたりした。サンタナ本当に温かい。感謝しかない。
ロッジで少し話したりして、そのごスタジオに戻り、また荷物の整理をした。
そのひもスタジオで宿泊。少し快適だった。

5/3
朝目覚めると停電だった。朝8時の時点で相当な風が吹いていて、思わず吹き荒れ始める外の様子を動画に撮影し、家族に送った。その後、電気も通信回線も遮断されたため連絡がとれなくなった。
雨が強くなるにつれて締め切った窓の隙間から水が滴るようになってきた。以前全ての窓枠にスポンジの緩和剤を張り付けておいて本当によかった。これが無かったらおそらくもっと浸水してきていたと思う。

それらを足ふきマットで窓枠下やドア下からの浸水を防ぎながら格闘していたが、ついに玄関の床上にまで水が上がってきてそこから浸水のとの戦いが始まった。少しずつ上がってくる水たちにいよいよ危機感を感じた僕は床に置いてある、水にぬれてはいけないもの、絨毯、箱、マットレスたちをイスなどを出来るだけ高いところに置いて、濡れるのを防ぎながら、次々に浸水してくる水をモップや、マットですっては絞り吸っては絞り、バケツでやっていたがらちが明かなくなってきて、水はけ棒で風呂場の排水に流し込む作戦に移行した。
その間も、倉庫にある機材の荷物達も非難させたり、冷蔵庫を風呂場に避難させたり、同時にやる事があったが何とか少しの休憩をしながらも、持ちこたえた。そこまで大きな被害は出なかったのだ不幸中の幸いだった。ただ部屋は水浸しになったので、水のせいで臭くなったから、また全部掃除をやり直しが必要になった。
ただ断水しているし停電もしているのでスマホのライトで5時間ひたすら水を掻く作業や、それと同時に暑いので洗濯もしないといけないから結構大変だったが、まだ大丈夫だった。
ファクナさんの家につながるドアからの浸水があったのでここを止めないといけないので、事情を話してファクナさんとトゥンナさんとで水はけを行って、何とか浸水はとまって、ファクナさんの家にたまっていた水はなくなった。

その後は、ロッジに行ったり、して状況を確認したりした。ロッジもそうとう水が入ってきて大変だったみたいだが、皆で協力したらしい。さすが。

この日はホテルに泊まらせてもらった。
クンナさんにも昼ごはんも晩御飯もごちそうになった。いつもいつもごちそうになってばかりだ。

5/4
この日はまたスタジオの掃除から始まろうと思った。
街の被害状況はひどくて、ヤシの木が折れて民家に倒れこんで屋根を破壊していたり、電柱が倒れて道が通行不可になっていたり、その他も建て積みに置かれたレンガが崩れ落ちて車に落ちて車がぐしゃぐしゃになっていたりともう散々な状況だ。街をバイクで走るも、道端には途方に暮れている人もいたり、荷物を抱えておそらく家が吹き飛ばされてなくなってしまったと思わえれる人がいる。スタジアム建設予定地の重量鉄骨もクシャっとなっていたし、ふとい電柱や街を照らすためのライトの柱も根元から曲がっていたり、ここら中に電線がぶらぶら垂れ下がっている状況だった。こんな情報は見た事がなかった。

ただ今回は政府がサイクロンが来るより以前に漁師の皆を非難させていたり、旅行者は宿泊できないような処置をとっていたために、亡くなる人はプリーでは出なかったらしい。他のエリアではまだ発表はされていない。
20年前のサイクロンの時は死者が沢山出てしまったという。

今回のプリーでの上陸、あとはブバネも相当な被害が出ているようで空港も全く機能しなくなってしまった。いつ再開見込みが立つのかも分からないし、このまましばらく連絡すらもつかなくなるかもしれない。だからちょっとこのままこの日記を続けていこうと思う。
今回サンタナホテルも被害がでた。窓ガラスは割れ、4Fの事務所の屋根は吹き飛び、AC,テレビ、スピーカー、もろもろ色々な大事な物が吹き飛んでしまった。
太鼓の脚もそうだ。

でもこれでクヨクヨしていてはいけない。まだ命がある以上、頑張らないといけないと思う。
だから前を向いて出来ることを頑張っていこうと思う。力を合わせて。

5/5 sun

今日はバイクのオイルがなくなりそうだったためスタンドに昼過ぎから並んだが、長者の列と、罵声、喧嘩がひどいため帰ることにした。2時間くらいかな。昼だったから暑かったし大変だったが、ジャガンナート寺院の車が給油して(12000L)いたため、なかなかバイクの給油まで回らず、そのため並んでいらおじさんとジャガンナートの使いの人とで大ゲンカしていた。その日のとはコレクターの許可証をもっていりという一点張りで何とか切り抜けたが、その辺はさすがだなと思った。その車だけで給油時間は1時間くらいに及んだ。それで結構まった挙句僕の目の前でその日のオイルがなくなってしまったらしく、明日朝6時に来なさいと警察が言ってくれたので明日朝6時に来ることにしてそそくさとその場を後にした。こういう時は駄々こねても仕方がないのがインドである。
帰ったころにはもう夜になっていたがファクナさんがその日のお昼に皆に出してくれた日本のカレーをとっといてくれてそれを頂くことが出来た。
ご飯に困らないのが本当に有り難い。
学校の片づけは少しづつ始めている。ファンも電気も水も出ないので出来ることは相当限られているが、少しずつ進めていかないといけないから次の理想のセッティングにしている。
次はエレドラとリアルドラムの2セット、そしてキーボード設置することにより作曲する際の効率化、あとはミキサーと隣に置いてスタジオ内での作業を大幅に増やそうと思っている。
時間は限られている。日本にいてもインドにいても同じように過ぎる。だから自分の目標の為に少しずつ環境は変われど進めていかなければならない。
地道に進めていくのが好きだ。好きになってきたというのが間違いないと思う。今まで、思うとおりに行かないとすぐにあきらめていた自分だったがここ最近のやりたい事、の為には少しずつでも進めていかないといけないということを実感したため頑張っていくことにした。まあやっていくしかないだろう。好きなんだし。
そのあと、ロッジに戻り、屋上の屋根を修復する作業をユキさん、麦と君を中心にして、河合さんにも手伝ってもらった。

給油は朝う朝に問い合わせう事が分かったので、ロッジに帰り坂本さんとむぎとくんに話して、明日朝5:30にロッジに待ち合わせをして一緒に行くことにした。ちゃんと起きないと。

5/6
アラームを5:00と5:05にかけたから、ロッジに向かった。
麦と君も無事に起きてくれていて坂本さんとも道で合流出来てすぐにロッジを出た。
5時半には出たが、スタンドに着いたのは5:45位。それでも70~100人台くらいは並んでいた。
昨日、並んでいた時に一番手前のレーンが一番早い事に気が付いたので今日はそうしてみることにした。それを坂本さんにも伝えた。麦と君には5Lのボトルを手で持って、人が並ぶ列に並んでもらうことにした。40分くらい待って、自分の番が来て、300Rs分入れることが出来た。むぎとくんには500Rs渡して、5Lを、340Rsでディーゼルを入れてきてくれた。ぺトロールと間違えたみたいだけど、結局発電機でディーゼルを使うので、非常に助かった。

その後、学校に行って片付けの続きをしていると、ユキさんが日本語学校に池田さんと来て、生徒を待ったが結局来なくて、池田さんだけを先にロッジに送った。
その後また学校に戻って、クンナさんとユキさんを乗せて帰った。
久々の3ケツで送り届けて、帰宅。

僕の首の後ろが痛くて、(インドにくる最初の時にいつもなるやつ、ピリピリ、チクチクするやつ)をトゥンナさんに見せたらアレルギー(暑すぎてなるやつ)だからクールパウダーを塗ったら治るよと教えてもらい、クンナさんと一緒にバイクで買い物に行くことにした。するとその途中にVISHALLというスーパーがあいていて、そこでいろいろ買う事が出来た。ただまだ通信が復旧していないのでカードは使えず現金のみ。
僕もクールパウダーは買えたし、ほかにも買えたので良かった。

そのあと、ユキさんともVISHALLへ。コーラをごちそうになる。スタッフへの飲み物を買い、帰る。
そのあと、ユキさんとビールを買いに。VIPロード沿いに売っているのを見たので、そこまでバイクで行って、19本買ってきた。
その後、シク教の人が炊き出しをしていたり、ガネーシャの寺院が食料を配っていたりした。

そのあとはサニーさんとチャイを飲みにゴールデンビーチの方へ行ったが、シク教寺院のグルドゥワラ―があるというので行ってみる事に。場所は灯台の丁度真裏の方だった。
あたまに頭巾をかぶり、中へ入るとやはり綺麗で立派な建物だった。行くまでにサニーさんからシク教について、沢山話してくれたのでより良いイメージ出会った。
シク教は世界中で困っている人がいれば助ける、食事も提供する。全てシェアする事。全ての宗教の教えこれを目指しているが実際出来ている宗教はなかなか難しいと。
こんなことをずっと話してくれた。
とても面白かったし、貴重な経験が出来た。
有り難いなこういうの。
その後、ロッジに帰宅し、ゆきさん主催の飲み会がロッジ屋上に参加して、大いに笑ってホテルに帰宅。その後クンナさんをバイクで送り帰った。しばらく緊張が張り詰めていたからこういう息抜きを作るのはとても大事だなと思う。
その日もゆっくり寝れた。

5/7
今日は朝からZYUNKO,タスクリスト、を再開。明日は収支を再開させる。ここまで余裕が出てきたのも少し安定してきたからかもしれない。電波もたまに入る。シャワーはホテルでいつでも入る事が出来る。給油もそんななくても並ばなくても大丈夫。今回学校を再開させるためにプリーへ来た。しかし電気もなく、再開できない。生徒も来たが再開できないのであれば体制を整えたい。
スタジオ内の清掃は終わった。あとは再会させるだけだ。
今プリーで出来ることは限られている。だから少しでも動いていかないといけない。電気が復旧しないとドラムスクールの再開もできない。
今、僕に出来ることはブレずに継続して行動していくこと。
その旨をファクナさんとユキさんに伝えて、ユキさんには日本語学校の鍵も渡した。
なにかとうまくいかないインドではあるが、こういう時はゆっくりでもいいから進むこと。
周りを見渡して、同調する必要もなく自分の出来ることを追求する事。

朝は街の状況を見にバイクを走らせて、プリービーチやグランドロードの方も見に行ったが、すこしずつ復興してきた。こういう時、とても迅速だ。
AP(アンドラプラデーシュ)の方からも給水車の応援、ボランティアの人たちの応援、電柱の立て直しのための資材、車、沢山の応援が駆けつけてきている。
インドの力を感じる。大きな国にしかできない、州ごとに独立した強い力を持つ仕組みの御蔭でこういう時に、多大な力を発揮する。
政府の動きはよくわからないが、昨日はモディ―さんも視察に来たみたいだ。状況を見に来た時の写真が新聞に移っていた。
力を合わす問う事は周りと足並みをそろえて進み続けることが全てではなく、自分に何が出来るかを模索し、見つけ次第それを追求していくことも大事な事なんだと思う。

自分に出来る事、しなくてはいけない事、するべきこと。これをじっくり考えていて見えた答えがこれだった。
周りからの意見は分からない。しかし、僕に出来る事。これをやるしかない。

人生は限られていて自分に与えられた時間も限られている中でどうあたまを使っていくか。人の為に立てるような事と自分に出来る事の接点を見つけていくしかない。一日も早い復旧するためにもまずは元気でいないといけない。

2019年5月8日現在。

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