NYで出会った人達

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ナマステ。
前回のブログの続きです。今日も読んで頂き有難うございます。タイムズスクエアでの出来事は僕の心にも体にもずっしりと刻み込まれました。あの僕にチップをくれたパフォーマーの彼は今も元気にやっているかな。マスクをかぶっていて顔が見れなくてわからないけど、たぶんまたタイムズスクエアで叩いたら声かけてくれそうな感じがする。彼がチップを僕にくれたおかげで、僕の心にもチップをあげようという気持ちがわいたのだ。さて、NYのマンハッタン島の中心地には大きな公園がありそこはセントラルパークという。インドのデリーのコンノートプレイスに囲われた中心の公園の名もセントラルパークと言います。あそこにも大きなインドの国旗が掲げられていますね。その公園は本当に広くて語学学校のクラスメイトとも歩いていたりした。しかし大抵は一人で行動していた。僕が行った時期はたしか三月終わりから四月にかけてだったと思う。NYはビルが高いせいもあり、冬が終り、春でさえも日中も影の所は風が吹くと寒い。桜がきれいだった。その代わり陽が出ている所は暑い。ほんとうに寒暖の差が激しかった。でもNYはその時期は結構薄着だった気がする。僕は完全に服を間違えていて、現地の洋服屋で服を買った気がする。ある日僕はセントラルパークを歩いていると、一人のミュージシャンが路上で演奏していた。そのスタイルは足ではドラムとパーカッションを演奏し、両手でギターそして、歌い、ハーモニカも吹くという今まで見たこともなかったスタイルで演奏していた。しばらく聴いていたが徴収を魅了する力が素晴らしかった。GREGORY MORGANさんだ。子供も躍らせるし、大人も歌わせる。たった一人でなんてことをしてしまうのだと驚愕していた。演奏の最後まで見てしまった。どうしても話しかけたかったから。終わって、CDを買い話しかけたら、今度家に遊びに来たらどう?と行ってくれた。彼の家はマンハッタン島の隣にあるブルックリン。電車で行けるところだ。楽しみが増えた。僕はただセントラルパークを歩いていたわけではなく、英語を話せるようになるためにと日本から申し込んが語学学校に二週間通った。その学校はMANHATTAN LANGUAGE.都会のど真ん中にある学校だ。この学校はレベルによってクラス別けされていて僕は初級コースだった。そこでの出会いも素晴らしかった。韓国から、サウジアラビアから、ロシアから中国から、そして日本から生徒が構成された。約10人程だった。そこでのクラスメイトとは今でも思い出すし連絡も取る。和気あいあいとして楽しい時間だった。そこで出会った日本人の女の子たちは今でもNYで頑張っているんだから本当にいいなと思う。好きなことで頑張ってるのは勇気をもらえる。あとは先生も良かった。担任のスージー先生は学校初日の時に自己紹介をしてそこで沢山の偶然が重なりご自宅に招待して頂いた。ドラマーでシェフのかっこいい日本人の旦那さんと名前と職が似ていたりしたことが切欠で何度か遊び日行かせて頂いた。ご飯も御馳走して頂いたり、幸せな時間だった。人間運が本当にツイていると思った。有り難いことですね。先生宅でも沢山の方とつながったりしてNYでの生活が楽しくなり始めた。友達が増えるのってこんなに安心できるものなのかと思った。普段は一人でハーレムのアパートに住んで、そこでは特に友達もいなかったから部屋で勉強するも、窓の外の大きな声とかにビビりながら生活していたと思う。でも床屋に紙切りに行ったけど、その時は何故か楽しかった。地元の人がよく行くところらしく全員ごつい筋肉もりもりのエディーマーフィーを彷彿とさせる人達に囲まれながら切った時間はたまらなかった。また行きたいな。先生宅で出会ったしょうたろうさんとグレゴリーに家に行って夜中までセッションして、楽しい買った。夜は寒いから焚火とかするんだけどこれがまた良くて。明け方帰った地下鉄は怖かった。でも危険な思いは一度もしなかった。日本人のクラスメイトも僕が帰るときに空港までわざわざ見送りに来てくれて。けど道が渋滞していてチェックインに間に合わなくて飛行機に乗れず、翌日の便が取れたのでNYでお世話になったアーティストのハセガワリエ先生の所にさらにまた一泊お邪魔させて頂くという事もありました。でも僕をさらに繋げてくれた方が他にもいるんです。そしてその方が切欠でNYのステージに立つ事が出来たのです。そこで驚くことが待っていたのでした。NY編もう少しつづきます

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