左膝前十字靭帯断裂再建手術のあと

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インドに始めてきたのは2014年。NYに行ったのは2013年。膝の二度目の再建手術をしたときは2013年、NYから帰ってきて間もなくの時、とてつもない大きな膝崩れを起こしてそのあと入院したのだった。二度目の前十字靭帯断裂は本当にとんでもなく痛かった。
思い返せば一度目の手術は15年前。その時h断裂したときは人口靭帯を使い再建してもらった。それから痛みはするものの、普段の生活は出来ていた。それから5年後くらい、今度は自転車で転倒し靭帯がまた断裂した。同じところ。この時には救急車で近くの病院に運ばれるも、その時はただの打撲と判断され自宅へ帰ったが翌日になっても痛みが治まらず以前手術した病院へ行ったらまた切れているとのことだった。しかし、この時は長期で休むことは出来なかった。で膝のサポーターでの生活が始まった。寝るとき以外はずっと着用。いわば体の一部のようなもの。ドラムを叩く時がとても大変だった。暑いし、ハットが細かく踏めないし。でも仕方がなかったからだましだまし生活していた。ただサポーターはしていたがたまに起こる膝崩れでしばしば歩けなくなるといった状態ではあった。これがしんどかった。
膝が痛むため、座り仕事に切り替えたり、飲食の仕事もしたりした。周りの方々の助けに甘えながら働かせてもらっていた。そうしながらバンドも活動出来ていた。サポーター生活がはじまっていたがスタジオでも痛くなったら休み休みしながらスタジオに集中していた。その当時もバンドを掛け持ちしていたが、これを理解してくれていたメンバーには感謝しています。膝が痛みすぎるのでその当時も筋トレをしていた。膝を守るために。そんなこんなの生活をしながら僕はNYに自分を試しに行くことにした。どこまでいけるのかを試してみたかった。タイムズスクエアでバスキングしていくらかお金が入ったことも、自信になったし、地下鉄の構内でマツさんにドラムを叩かせて頂いたこと、バスキング仲間が僕にチップを入れてくれたことも、語学学校先でしりあった友達も、英語の先生の家族も。今考えれば甘々だったが当時の僕は必死こいていた。お世話になっている方からの紹介で日本人エンジニアさんの所に行き、お話を聞かせて頂いたりライブハウスへ行きオープンマイクに参加させして頂いた。そこで悔しくもボコボコにされて、滅茶苦茶悔しい思いをしてまたリベンジしに行くという約束をして帰ってきてすぐの入院、手術だった。二度目の再建手術は人口靭帯ではなく自分の靭帯を使用するというもので、僕の場合同じ個所で二度目なので一番強い靭帯がある脛と膝の骨を繋ぐ靭帯を骨ごと抜き取りそれを移植するという手術だった。二度目でどういう手術か分からなくて見たかった僕は下半身麻酔にしてもらって手術を終始見ることにしたが凄まじかった。ドリルで穴開けるって本当だったんだとか、ハンマーで骨を砕く時に、ズンズン振動が着たりとか全てが新鮮!!!なにこれみたいな手術、三時間くらいかかったと思う。その後のリハビリもまた大変で3か月かかったが友達がお見舞いに来てくれたので本当に救われた。みんな、ありがとうね。今も思います。その手術後はしばらくリハビリの為働く事が出来なかったが、許可が出てから滅茶苦茶働いて、掛け持ちしながら働いてそれからインドへ行った。この時に一緒に働いた職場の人達もみんな親切で優しかったから働くことが心から楽しかった。幸せなことだと思った。インドに行ってから僕に人生は面白い方向へ行き始めた。これも沢山のキッカケがあったからだが、どれも外せない。僕の人生は膝とともに歩んできたといっても過言ではなく、きっとこれからも続くであろう。膝の気持ちを考え、膝のご機嫌をとり、膝の心を察しながら生きていくしかないのだ。膝のおかげで今、こうして生きている事や歩くことが当たり前ではないと思えるようになったし、人生短いから一生懸命生きないとあっというまに好きなことは出来なくなってしまうんだと感じたのだった。また、こうして膝がきしむようになってきて、いつ叩けなくなるのか冷や冷やしているが、今日もベストを尽くして膝と真剣に向き合い共に生きていこうと思うのであった。

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